1750年代、辺境線(フロンティア・ライン)はペンシルヴァニアからメリーランド、ヴァージニア、キャロライナを経てアパラチア山脈を越えた。開拓者たちは東部沿岸支配層と幾多の権利をめぐって衝突を起こしたが、ネイティブ・アメリカンとの摩擦も増大した。インディアンたちはこの不満と救いを早くからこの地に入っていたフランス人に求めた。

1770年以降本格的開拓がはじまり、1840年までにアパラチアの西に800万人の人が住むに至った。