南部はプランテーション型の農業(特に煙草)に進んだ。北部は漁業(特に捕鯨)が栄えた。

1700年代になると、大規模プランテーションになり、人手不足解消に大量の黒人奴隷が輸入される(初期の奴隷船は1619年に既にジェームス・タウンに着いている。1690年にはおよそ二万人が植民地に散っている)。また年期の明けた白人奉行人で土地を所有できない者はアパラチア奥地へ入る(プア・ホワイト)。

つまり、イギリス国王から派遣された国王の総督と公の友人→商人やプランター→ヨーマン(小規模農民)→労働者→年期契約奉行人→プア・ホワイト→黒人奴隷という図式が形成された。これらに挑戦したのが辺境開拓者(フロンティアマン)である。彼らは人間の権利と平等を主張した。